『今や年間250本のライブ』

—ライブハウスCIB(キーブ)オープンの経緯は。
内野 私自身が音楽が好きで中学生時分からバンドを組んでやっていました。高校、大学と。大学でやめたんですが、音楽の虜になった連中が何人もいてプロミュージシャンにまでなっのが何人もいます。彼らが帰省時に「熊本でもライブがやりたい」と言い出しましてね。最初は僕が会場の手配をしてチケット売ってあげたりしながらやり始めた。そんなこともきっかけでした。
それまで私は建築設備のメンテナンス関係の仕事をしていましたが、そちらの事業のタイミングもあって2000年、年齢50歳を機に思い切ってこの世界に入りました。いきなり大きくはできませんから最初は様子見で6.5坪程のショットバーを2人でスタートしました。
それを5年間ほどやる中で日本や海外のライブハウスを随分見て勉強させてもらい、ライブハウスにぴったりの物件と出会ってオープンしました。ただ、基本50歳の素人オヤジが考えた箱ですからね、ここを船に例えるならその設計図がちゃんとしたものかどうかも分からず、正直、出航した先が海なのか、川なのかさえも分からない手探り状態でした。以来何度か嵐もきましたが、なんとかここまで来ることが出来ました。
—ビッグネームのミュージシャンがここまで多く来演するライブハウスも珍しいのでは。
内野 この天井高が4mという物件だったのが幸いでしたし、プロの演奏にはプロの音響オペレーターにお願いしなければの拘りが途中から功を奏してミュージシャンの方から「QIBは音がいい。やってて気持ちいい。九州ならまたここで」と言ってくれるようになり口コミで広まったようです。何より周りの人に恵まれています。そんなご縁をたくさんいただいて、渡辺貞夫さんなども毎年来演していただいてます。
—コンサートは年間何本?
内野 250本程にもなろうかと。確かではありませんが数では九州でも一番かもしれませんね。逆に多すぎて本来のふらりと寄っていただいていた大切なお客様に申し訳なくて。
—地元のミュージシャン育成の活動も。
内野 今の若い人たちの技術は教材が素晴らしいので昔のように年齢では推し量れない。すごい人材が沢山います。定期的なものではジャズで月2回とギター、ピアノ弾き語りを月に1度やってます。ここから全国に羽ばたいてくれたら仕事冥利に尽きますし、また中央で活躍される方に地元で演奏される場所として活用してもらってます。
—内野さんご自身がボーカルでライブに。
内野 45歳あたりでジャズボーカルをやろうと発起してボイストレーニングからしっかりやりました。ここではオールディーズをやるバンドがないので自前でそれをやろうということになりましてね。週に2回ほど歌ってますよ。今お客様は75歳位まではビートルズ世代でゴーゴークラブ世代ですから、「オールディーズを聞きながら踊りたい」という方がたくさんおられます。なのでオールディーズの日は毎回満席です。
—内野さんの今後については?。
内野 最初の会社は私が32歳で起業しました。バブルの頃でしたので銀行がそんな起業したばかりの私に「お金を借りませんか」という時代でしたし、この店もイニシャルコストが予定の倍ほどかかりましたので、借りたお金を頑張って返す繰り返しでしたから完済が楽しみという意識になってました。20歳そこそこで入ったスタッフが結婚して子供ができてという状況になった時にはたと気付くものがありました。「オーナーが借金の完済ばかり楽しみにしていてはいかん」と。65歳の老体ながら昨年あたりから事業についても広がりと意欲を持って考えて始めてるところです。
—具体的には?。
内野 ライブハウスとはいえ、キッチンのスタッフも本格的なメニューが出来るまでに成長してくれてますので、その展開であるとか。
また来年はこちらから出向いて九州一円のライブハウスのネットワークを作ってミュージシャンが九州各地でライブができる体制を作る動きも始めたいと思っています。
—野球部も創られましたね。ライブハウス以外の活動は。
内野 野球は本格的なユニフォームまで作って、他のライブハウスの方々まで巻き込んで楽しくやってます。知的障がいのある方達と皆で一緒に音楽を楽しむ「オハイエ音楽祭」や震災を機に発足した「くまもと音楽復興100人委員会」などには微力ながらお手伝いしています。
—モットー、人生に対して柱となるものは何ですか。
内野 何かやることがあるということは幸せなのではないでしょうか。それが「義務的にせざるを得ない事」であったとしても非常に大切なことだと思います。きついのはきついけど、それで自分の身体が動いている。私なんか毎日がその連続ですが、それが原動力です。ここの営業の第一戦には、ここに立てるまでやろうと思ってます。
—ありがとうございました。

内野 昌時(65歳)
【プロフィール】うちの まさとき/熊本市中央区大江町出身、託麻原小、帯山中学、熊本県立熊本高校、明治大学卒業。33歳で建築設備の保守管理会社を創業。趣味は月一回の盟友との麻雀。Music Live & Restaurant Bar CIB (キーブ) オーナー